名称の変遷

島として古くから中国人にその存在が認識されていた。『漢書地理志』の中に「会稽海外有東-人、分為二十余国、以歳時来献見...」との記載があり、一部の学者は東-とは台湾を指す名称であると主張している。

しかし漢代の中心地は中原と称される、長安及び洛陽を中心とする地域であり、漢朝の実質的な勢力は長江下流域に限られていたと考えられる。

従って福建省や広東省の沿岸地帯に至ることは非常に稀であり、その東岸にある島嶼を正確に記録したとは考えにくく、海上の島嶼群を漠然と示した名称であると考えられ、台湾の呼称と即断することは困難である。

東の中に台湾も包括されていたと考えるべきであろう。時代は下り三国時代の『臨海水土志』の中に「夷州在浙江臨海郡的東南、離郡二千里、土地無霜雪、草木不枯、四面皆山、衆山夷所居。
update:2010年01月30日